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晩秋の朝

 24, 2013 20:48
今朝7時半くらいの空です。

月がかかっていました。


やめるはひるのつき

紅葉と朝の月です。


少し前の話題になりますが、

やなせたかしさんがお亡くなりになりました。

アンパンマンがアニメになった時は

もうわたしは大人になっていましたので、

初めはこどもの見る漫画だと思っていました。


でも、あるとき

何かの本で

アンパンマンが自分の頭を

困っている人にあげるシーンの意味を読んでから

見方が変わりました。

本当に人を幸せにしたいと思ったら

それは自己犠牲の上にあるというのです。

アンパンマンは自分の体を削って

おなかが空いている人を助けます。



次のような文章も見付けました。

一部を転記したいと思います。



「詩とメルヘン'76 年6月号」(サンリオ)より


本当の正義とは?そしてぼくがまだ子供のときのこと  やなせたかし


アンパンマンは、

ある日アンパンを見ていておもいつきました。

ぼくはだいたい子供番組のスーパーマンものを見るのが大好きであったのですが、

見ていて納得できないのは、スーパーマンと怪獣が

やたらに大あばれするあたりじゅうメチャメチャに踏み荒しても、

被害者に謝りにいったりしない。

正義の味方というけれど、本当の正義とはいったい何だろう?


そして、我々が本当にスーパーマンに助けてもらいたいのは、

たとえば、失恋して死にそうな時、おなかがすいてたおれそうな時、

あるいは旅先でお金がなくなった時、

その他いろいろあるわけで、そういう細かいところに気がつく

優しいスーパーマンがいてほしいのです。

鉄橋をもちあげたり、全くいそうにもないビニール製の怪獣をなぐりつけてもらっても、

あんまり心からよろこべない。

中略(やなせさんがお財布を落とし、

12キロの家路を歩いていこうとするエピソードが続きます。)

見れば、ぼくの友人のK君がお母さんと一緒にいるではありませんか。

地獄に仏!真実の神!ぼくはK君とそのお母さんのところ
にライトがあたってそこだけバラ色に輝いているようにみえました。

その夜、オレンジ色の光の窓を行列させながら

走っていった帰りの電車の中で食べたアンパンほど

おいしい食べものをぼくは知りません。

アンパンはぼくの食道にしみ、胃の粘膜にしみ、心にしみた。

ぼくは甘美な恍惚感にひたった。

幸福は、時として不幸の時に実感する。

ぼくはその時に思った。

本当のスーパーマンは、ほんのささやかな親切を惜しまないひとだと。

そして、そういう話をいつかかきたいと子供心に考えたのです。









なにが君のしあわせなにをしてよろこぶ?

わからないまま終わる・・

そんなのはいやだ!


忘れないで夢を

こぼさないで涙


だから君は とぶんだ どこまでも

そうだ おそれないで みんなのために

愛と勇気だけが ともだちさ

ああアンパンマン

やさしい君は

いけ!みんなの夢まもるため


こんなふうな生き方ができたらいいと

心から思います。


自分が死んだとき・・・

もしあの世というものがあるなら

持って行けるのは自分の心だけだと思います。


この世の名声も、お金も 肉体でさえも何も持っていくことはできません。

でも、もし「こころ」だけは持っていくことができるならば、

わたしは「きれいなこころ」を持っていきたいと

いつもいつも思うのです。


でもそれが一番難しいことだとも感じています。


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