
ある日犬の国から手紙が来て 著/田中マルコ 絵/松井雄功
亡くなった犬たちが楽しく暮らしている「犬の国」があります。
そこからいつも飼い主に「愛しているよ。ここから見ているよ」とメッセージを送っています。
そして悲しんでいる飼い主に「次のコを飼ってもいいよ」と手紙をくれるのです。
そんな物語をかわいい絵と一緒に織りなすファンタジーです。
またこの国に住む犬たちは、実在した犬がモデルになっていて、
看護師になったり駄菓子屋さんになったりして、
それぞれの役割で働いています。
犬は使命を持って働くことが大好きで、そういうかわいい絵も心和ませてくれます。
小学館HPより引用
この本。職場の人が持っていました。
見せてもらったのですが、1話で既に両目から涙が・・・。
職場で、涙を流してしまいました。
犬の国。 すみれも行けるそうです。
すみれは、もも姉ちゃんに会ったりしているのかな?
そして
もも姉ちゃんは、向こうの国で
何のお仕事をしているのかな。

こちらもどうぞ
犬の国.com

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最近村山早紀さんの
コンビニたそがれ堂 という作品を読みました
探しものがある人だけがたどりつける
不思議なコンビニには
いろんな事情の人がやってきます
物語の設定自体やストーリーなど
わりとよくあるなと思い
読み進めていましたが
あんずという白い猫が登場する章は
電車内で
うかつにも泣いてしまいそうになりました
まもなく病気で命を亡くすと知っている猫が
人間になれるキャンディを手に入れて
可愛がってくれている飼い主の住む家へと
帰ります。
自分が猫だとバレてしまったら
待っているのは
死だとわかっていても
飼い主にさようならを言いたい。
読んでいくうちに
私は虹の橋に渡ったもも姉ちゃんのことを
考えました。
見えなくなっても
必ず近くにはいてくれているのかもしれません
コンビニたそがれ堂 という作品を読みました
探しものがある人だけがたどりつける
不思議なコンビニには
いろんな事情の人がやってきます
物語の設定自体やストーリーなど
わりとよくあるなと思い
読み進めていましたが
あんずという白い猫が登場する章は
電車内で
うかつにも泣いてしまいそうになりました
まもなく病気で命を亡くすと知っている猫が
人間になれるキャンディを手に入れて
可愛がってくれている飼い主の住む家へと
帰ります。
自分が猫だとバレてしまったら
待っているのは
死だとわかっていても
飼い主にさようならを言いたい。
読んでいくうちに
私は虹の橋に渡ったもも姉ちゃんのことを
考えました。
見えなくなっても
必ず近くにはいてくれているのかもしれません
先日のブログに森絵都さんの「おいで、一緒に行こう」を紹介しましたが、
(前の記事はこちら)
彼女の本に「君と一緒に生きよう」という、
動物の殺処分について書かれたものがあると知り
図書館で借りて読んでみました。
読んだ感想を
一言で何か言えるわけではありません。
でも、書かずにはいられません。
殺処分の現状について書かれているのは、後半のごく一部分でしたが、
その部分にさしかかる頃には胸が苦しくてたまりませんでした。
この本の最後の方に
定時定点回収という自治体が行っている「不用犬猫」の回収について
コラムがありました。
定時定点回収という言葉を私は初めて知りました。
『決められた日時に回収車がまわり、そこに、迷い犬や猫、
また、なんらかの理由で飼えなくなったペットを持ち込むというシステムである。』
と書かれています。
『我々が待っていると、通勤途中のサラリーマン風の男性が、
シーズを連れてきた。
名前はチャック。トリミングされ、リボンをつけ、服まで着ている。
10年以上前に拾って飼っていたが、
飼い主が病気になり飼えなくなったという。
しかし家にはもう一頭犬がおり、そちらは飼い続けるとのこと。
チャックは白内障で左目は潰れている。
申請書に書き込む男性に「チャックは明日には殺処分されるのだ」
と告げても、動じる様子はない。
男性が去った後、チャックはずっと鳴き続けていた。』
『迷い犬や保護された猫達は、
保護センターに連れていかれた後、飼い主を待つ数日の猶予がある。
しかし、飼い主によって持ち込まれた犬猫は、翌日ガス室で殺処分される。
それを待つ間の不安と恐怖はいかばかりだろうか。
いろいろ事情はあるのだろうが、
やむを得ないのなら、せめて病院で、
飼い主の腕の中で安楽死させてやれないものだろうか。
命に最後まで責任を負えないなら、生き物を飼うべきではない。』
(以上『君と一緒に生きよう』より引用)
こんな挿絵がありました。

このページよりあとの部分に殺処分の流れが書かれていました。
『犬の問題に携わる方々のお陰で今回は特別に許可が下りたが、
通常、殺処分の現場へ部外者は立ち入れない。
どこのセンターでも見学できるのは
死の一歩手前までだ。理由は「規則だから」の一点張りで、
なぜそのような規則があるのかと尋ねたところ、
「あまりにもショッキングで見せられないため」
との声も返ってきた。
「あまりにもショッキング」な方法で犬たちは殺されているわけである。』(同書引用)
保護犬を一生懸命お世話してくださるボランティアさんもいれば、
こんな風に無責任に捨てることができる人もいる。
私には何もできませんが、何もできないから
最初から何もしないのではなく、
せめてブログで発信して
少しでも多くの人に この現実を広めることができればと
書いてみました。

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(前の記事はこちら)
彼女の本に「君と一緒に生きよう」という、
動物の殺処分について書かれたものがあると知り
図書館で借りて読んでみました。
読んだ感想を
一言で何か言えるわけではありません。
でも、書かずにはいられません。
殺処分の現状について書かれているのは、後半のごく一部分でしたが、
その部分にさしかかる頃には胸が苦しくてたまりませんでした。
この本の最後の方に
定時定点回収という自治体が行っている「不用犬猫」の回収について
コラムがありました。
定時定点回収という言葉を私は初めて知りました。
『決められた日時に回収車がまわり、そこに、迷い犬や猫、
また、なんらかの理由で飼えなくなったペットを持ち込むというシステムである。』
と書かれています。
『我々が待っていると、通勤途中のサラリーマン風の男性が、
シーズを連れてきた。
名前はチャック。トリミングされ、リボンをつけ、服まで着ている。
10年以上前に拾って飼っていたが、
飼い主が病気になり飼えなくなったという。
しかし家にはもう一頭犬がおり、そちらは飼い続けるとのこと。
チャックは白内障で左目は潰れている。
申請書に書き込む男性に「チャックは明日には殺処分されるのだ」
と告げても、動じる様子はない。
男性が去った後、チャックはずっと鳴き続けていた。』
『迷い犬や保護された猫達は、
保護センターに連れていかれた後、飼い主を待つ数日の猶予がある。
しかし、飼い主によって持ち込まれた犬猫は、翌日ガス室で殺処分される。
それを待つ間の不安と恐怖はいかばかりだろうか。
いろいろ事情はあるのだろうが、
やむを得ないのなら、せめて病院で、
飼い主の腕の中で安楽死させてやれないものだろうか。
命に最後まで責任を負えないなら、生き物を飼うべきではない。』
(以上『君と一緒に生きよう』より引用)
こんな挿絵がありました。

このページよりあとの部分に殺処分の流れが書かれていました。
『犬の問題に携わる方々のお陰で今回は特別に許可が下りたが、
通常、殺処分の現場へ部外者は立ち入れない。
どこのセンターでも見学できるのは
死の一歩手前までだ。理由は「規則だから」の一点張りで、
なぜそのような規則があるのかと尋ねたところ、
「あまりにもショッキングで見せられないため」
との声も返ってきた。
「あまりにもショッキング」な方法で犬たちは殺されているわけである。』(同書引用)
保護犬を一生懸命お世話してくださるボランティアさんもいれば、
こんな風に無責任に捨てることができる人もいる。
私には何もできませんが、何もできないから
最初から何もしないのではなく、
せめてブログで発信して
少しでも多くの人に この現実を広めることができればと
書いてみました。

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ペットレスキューという言葉は聞いていましたが、
こんな風に活動されている方々がいらっしゃるということ
心に突き刺さりました。
もしそうなったら
半径20キロ圏内にわたしは入ることができるんだろうか。
できるなんて簡単には言えない。
この本の裏表紙にあるワンコの写真が
すみれママの捕獲された日の写真と
そっくりなので驚きました。
ネコは手放しちゃ駄目だ という言葉が印象に残っています。
結局 駄目と言われながらも避難所にペットを連れてきたほうが
結果的にはよかったようなのです。
周りの人に迷惑がかかるから・・・と遠慮してしまった方たちの犬や猫や
その他の動物たち・・・。
数ヶ月経って、人間不信になっているコもいたようです。
まもなく2度目の3月11日です。
今日も地震がありました。

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ママは仕事柄、児童書を中心に本をたくさん読みます。
特に去年の夏は一夏で50冊くらいは読みました。
仕事とからんで半強制的に読んだのです。
強制的に読む本は、あんまり楽しくないですが
それでも、時にははっとするような本に出会うことがあります。
ママが前から好きで、ことあるごとに読み返している本を今日は紹介したいと思います。
それは湯本香樹実さんの『夏の庭』です。
釣りバカ日記のすーさん(三国廉太郎さん)がおじいさんを演じて映画化もされているので
ご存じの方も多いと思いますが、あえて。
この物語は小学校6年生の男の子3人組が、
人の死ぬところをみてみたいという不謹慎な興味から
近所で一人暮らしをしているおじいさんを観察し始めるところから始まります。
ところがその観察がいつしか3人の少年とおじいさんの心の交流を生み出すのです。
子どもたちの心それぞれにおじいさんへの思いが芽生えるころ
おじいさんは一人で旅立っていきます。
おじいさんを見送った3人はその後、それぞれの人生を歩み出す という物語なのですが、
ママがいつも心に残るセリフは
物語の語り手の少年が次のように語る場面のものです。
「ぼくが大人になったら、
いつかのようにいっしょにお好み焼き屋でビールを飲むことだってできただろう。
そうすることができないのは、すごくさびしい。心細い。
だけどそれは、結局はぼくの問題なのだ。
おじいさんは、充分、立派に生きたのだ。おじいさんの白い骨が、
ぼくにそう教えてくれている。
ほんとうに、めいっぱい生きたのだ、と。」
昨年は、ちょうど18年 一緒に暮らした愛犬を亡くしました。
そして、ブログを通して知った長寿のにゃんこさん(20歳)や
わんこさん(19歳)がこの暮れからお正月にかけて
続けて虹の橋を渡りました。
私は今年の写真を整理しようとして
暮れにうっかり、先代犬の写真を見てしまい滝のような涙が出てしまいました。
でも、そういう思いにかられるたびにこの物語のこの場面を思い出すのです。
ももがいなくなって寂しい。
けれどそれは結局はわたしの問題なのだと。
ももは充分、立派に生きたのだ。ももの白い骨が、わたしにそう教えてくれている。
ほんとうに、めいっぱい生きたのだ、と。
お正月にふさわしい話題とも思えませんが、読んでくださってありがとうございます。
特に去年の夏は一夏で50冊くらいは読みました。
仕事とからんで半強制的に読んだのです。
強制的に読む本は、あんまり楽しくないですが
それでも、時にははっとするような本に出会うことがあります。
ママが前から好きで、ことあるごとに読み返している本を今日は紹介したいと思います。
それは湯本香樹実さんの『夏の庭』です。
釣りバカ日記のすーさん(三国廉太郎さん)がおじいさんを演じて映画化もされているので
ご存じの方も多いと思いますが、あえて。
この物語は小学校6年生の男の子3人組が、
人の死ぬところをみてみたいという不謹慎な興味から
近所で一人暮らしをしているおじいさんを観察し始めるところから始まります。
ところがその観察がいつしか3人の少年とおじいさんの心の交流を生み出すのです。
子どもたちの心それぞれにおじいさんへの思いが芽生えるころ
おじいさんは一人で旅立っていきます。
おじいさんを見送った3人はその後、それぞれの人生を歩み出す という物語なのですが、
ママがいつも心に残るセリフは
物語の語り手の少年が次のように語る場面のものです。
「ぼくが大人になったら、
いつかのようにいっしょにお好み焼き屋でビールを飲むことだってできただろう。
そうすることができないのは、すごくさびしい。心細い。
だけどそれは、結局はぼくの問題なのだ。
おじいさんは、充分、立派に生きたのだ。おじいさんの白い骨が、
ぼくにそう教えてくれている。
ほんとうに、めいっぱい生きたのだ、と。」
昨年は、ちょうど18年 一緒に暮らした愛犬を亡くしました。
そして、ブログを通して知った長寿のにゃんこさん(20歳)や
わんこさん(19歳)がこの暮れからお正月にかけて
続けて虹の橋を渡りました。
私は今年の写真を整理しようとして
暮れにうっかり、先代犬の写真を見てしまい滝のような涙が出てしまいました。
でも、そういう思いにかられるたびにこの物語のこの場面を思い出すのです。
ももがいなくなって寂しい。
けれどそれは結局はわたしの問題なのだと。
ももは充分、立派に生きたのだ。ももの白い骨が、わたしにそう教えてくれている。
ほんとうに、めいっぱい生きたのだ、と。
お正月にふさわしい話題とも思えませんが、読んでくださってありがとうございます。